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薬物治療により死亡の危険性がごくわずかに増える

 国はこの薬は特定の疾患にしか使用してはならないと定めている。しかし、その薬を別の疾患に使用する場合がある。これを適用外処方(目的外処方)という。厳密に言えばほとんどすべての医師は適用外処方をしている。例えば、NSAIDという鎮痛薬(通常の鎮痛薬であり、ロキソニン、ボルタレンなどが含まれる)を使用すると胃潰瘍の副作用が怖いため、抗潰瘍薬を併用する、しかし抗潰瘍薬は潰瘍がすでにある場合には使用できるが、NSAIDによる胃潰瘍予防には使用できない。そのため医師は「胃潰瘍」という病名をでっちあげて抗潰瘍薬を使用する。これは厳密には適用外処方である。この点ではほとんどの医師は適用外処方をしている。しかし、ほとんどの医師が行っているため黙認されている。

慢性痛における適用外処方は言い逃れができない。てんかん、慢性の咳などに使用される薬を鎮痛薬として使用する場合がる。カルテを監査されると言い逃れができない。
 線維筋痛症の薬物治療の治療成績向上のためには適用外処方が必須である。ここで問題が生じる。適用外処方で重篤な副作用(眠気により生じた転倒による外傷を含む)が起きた場合には、大問題になる。患者は医師を加害者とみなしあらゆる手段をとる場合がある。適用外処方ではないが患者とトラブルになり、患者から様々な攻撃を受け、少なくないお金を支払った医師を私は知っている。大野病院事件では、産科手術で患者が死亡し、医師が逮捕され、数年間医師は医療行為をできなかった(無罪が確定し、医師として復帰した)。適用外処方を行ってはならない建て前になっているため、それを行い問題が起これば、その医療行為は間違いなく非難され、裁判になれば医師は間違いなく敗訴する。場合によっては逮捕される可能性すらある。私自身、あまりにも理不尽な患者に「出るところに出てもよい」という非難を数年に1回は受けている。患者の治療成績向上のために行った適用外処方を医師の過失として紛争が起こることは避けなければならない。自分の身を守るため、線維筋痛症の治療を継続するため(他の患者の治療の場を確保するため)。

 副作用は一定の割合で必ず起こる。患者は医師を選べるが、医師は患者を選べない。しかし、紛争を避けなければならない。私がしていること、それは不都合な事実の説明である。「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明である。線維筋痛症に限らず、ほとんどすべて、もしかするとすべての薬を飲むと死亡する危険性がごくわずかに増えてしまう。例えば、テレビの宣伝で有名な風邪薬でも数年で1人は死亡が起きている。余談になるが1人の周辺にはその何倍もの失明者、そして失明者1人の周辺には失明はしないが失業してしまう視力障害者がいる。ごくわずかに死亡する危険性を受け入れられないと、ほとんどすべての薬を飲むことができなくなる。それは医療の恩恵を受けることができないことを意味する。「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」を受け入れられない人が少なくない。驚くべきことに「死亡する危険性がごくわずかに増える薬」をすでに飲みながら、「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明を受け入れられない人がいる。さらに言えば「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明を受け入れられない人は自動車に乗ってはならないと私は考えている。自動車に乗ると交通事故で死亡する危険性が増すからである。私は通勤に自動車を使用している。死亡する危険性が増えることを承知で自動車を運転している。仕事に行くためには、交通事故死する危険性が少し増えてもやむを得ないと私は考えている。

 驚くべきことに、「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明を受け入れられない人が少なくない。この説明を行い始めてからは、患者とのトラブルが激減した。人間が1000人いれば一定の割合で、理解不能の行動、解釈をする人がいる。その人たちは「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明を受け入れられないのであろうと私は考えている。もちろん多くの人はそれ以外の理由で「薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明を受け入れられないのであろうと私は考えている。 
 「死亡する危険性がごくわずかではあるが増える」薬をすでに飲んでいるにもかかわらず、「死亡する危険性がごくわずかではあるが増える」鎮痛薬を飲みたくない理由は何であろうか。私には理解できない。私の理解不能な判断をする人が少なくない。

 薬物治療をすると、死亡する危険性がごくわずかに増える」という説明をすることにより治療する患者は確実に減った。意図したわけではないが、患者が減ることにより、1人当たりに費やす時間を増やすことが可能になった。

とある医師から戸田から「死ぬかもしれない」という説明を受けたと言われた。私はここ10年間は「死亡する危険性がごくわずかではあるが増える」という説明をしている。その患者さんは「死亡する危険性がごくわずかではあるが増える」を自分の頭の中で「死ぬかもしれない」に変換したと推定している。間違いではないがかなり意味する内容が違うように感じる。

鍼にも死亡例がある。
 2000年以降世界で報告された全疼痛に対する鍼に関する総説では、鍼が疼痛を軽減する効果を裏付ける有力な証拠はほとんどない。死亡例もある
 Ernst E, Lee MS, Choi TY: Acupuncture: Does italleviate pain and are there serious risks? A review of reviews. Pain. 152(4).755-764, 2011.
日本における死亡の1例報告
http://acupuncture.jp/dspace/bitstream/10592/17369/1/0886.pdf

 飛行機に乗っても死亡例があります。自動車に乗っても死亡例があります。JRに乗っても死亡例があります。

ほとんどすべて、もしかするとすべての薬を飲むと、死亡する危険性がごくわずかに増える、自動車に乗ると死亡する危険性がごくわずかに死増える。しかし
新規に飲む薬で当たり前のこと(死亡する危険性がごくわずかに増える)を言われると、危険性を感じて治療を希望しない。それは人間の不合理性が原因と私は推定している。今まで飲み続けていた薬を飲んでも現在までは死亡しなかった。自動車に乗っていても死亡しなかった。その危険性を指摘されても、今までの経験が、事実(ほとんどすべて、もしかするとすべての薬を飲むと、死亡する危険性がごくわずかに増える)よりも優先される。新たな薬も、今までの薬の危険性と差がないと指摘されても、今まで事故がなかったことが優先される。論理的思考ができる人は新たな薬も、今までの薬の危険性と差がないことに気が付くが、それができない人は今までの薬は安全であり、新たな薬は危険とみなすのであろうと私は考えている。これは正常性バイアスと同じであろうと私は考えている。平穏な場所に煙が充満しても、「この煙は火事が原因ではないはずだ。今まで通り安全なはずだ。」という判断のため避難が遅れてしまう。特に周辺の人がじっとしていると避難が遅れがちになる。論理的思考ができる人とそれができない人の差であろうと私は考えている。厳密に言うとこれは正常性バイアスとは異なるが、安全であると誤解していた今まで内服している薬、自動車の危険性を指摘され、新規の薬の危険性を説明されても、今まで内服している薬、自動車は安全であり、新規の薬のみが危険であると判断してしまう人間の性質が理解不能の判断(新規の薬のみを危険と判断してしまう)の原因と私は推測している。これに関しては論理的判断をしてくださいと願うしかない。




by fibromyalgia11 | 2017-12-23 13:36 | FMの雑感
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世界標準の線維筋痛症を専門家が説明します


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